「橋本倫 展“宇宙の忘却”」
2017/04/08ー04/29
HASHIMOTO OSAMU solo exhibition
火−土 12:00 -18:00 日月休
April 8 |Sat| − 29|Sat| 2017 Tue − Sat 12:00-18:00 closed on Sun & Monday
下記トークは終了しました
アーティストトーク「無常と超越:宇宙物理学と神秘主義哲学から観た絵画の形而上的価値」
日時|4月15日[土]6:00 −7:00p.m. 。
『アーラム・アル=ミサール('Ālam al-Mithāl)』
2017年 S25号(80.3×80.3㎝) キャンヴァスに油彩+アルミ親和性金箔 額装
En:『'Ālam al-Mithāl』 F15 (26.7×26.7inch) oil & aluminium based gilt on canvas / with frame 2017
Fr:『'Ālam al-Mithāl』 F15 (80.3㎝×80.3㎝) huile et doré à base d’aluminium sur toile / avec cadre 2017
+Y Gallery
ステートメント『無常と超越~宇宙の忘却~』
存在するという事実の謎が長年脳裏を離れない。物質の極限の態様については、素粒子物理学と量子論の登場により、少なくとも我々の存在する宇宙において、ビッグバン以降の条件下では、相当程度正体が判明している。物質は、分割不能の構成要素にまで遡上すると、数学的性質以外の如何なる属性も持たない確率論的抽象存在と化す。問題はその“先”だ。物質の起源は解明できても、何故、存在するのか、という究極の問いが残る。
我々の存在するこの宇宙は、ビッグバン発生の始点である特異点以降の存在物で、これまで、この特異点“以前”の状態にまで遡ることはできないとされてきた。特異点では全ての物理法則が崩壊し、物理学的に論じる対象とは考えられてこなかったからである。そもそも時間と空間、すなわち時空そのものが特異点から“こちら側”に於いて初めて存在し得たのであれば、“それ以前”という時間的議論や、“その奥”という空間的議論それ自体が無意味となる。ところが、現代のループ量子重力理論では、特異点を回避して、ビッグバン“以前”という、宇宙の“先史時代”にまで遡及してゆくことを可能とする数学的理論が構築されつつある。ビッグバン“以前”の宇宙では、無の状態に於ける“量子揺らぎ”現象が見られ、これがある状況下で“先史時代”の宇宙を収縮状態へと導く。この収縮が極限まで達すると、ビッグバン発生の前段階に到る。この時のいわば我々の宇宙の“種”とも言える段階での密度は、原子核内部に存在する陽子サイズの“空間”内に、太陽質量1兆個分もの質量が詰め込まれた状態に匹敵する密度である。そして、収縮の極限に達した瞬間、ビッグバン、すなわちインフレーション現象が生じ、陽子サイズの宇宙は、一気に150億光年近い空間にまで拡大する。この時の“一気”という時間の長さとはこうだ。秒速30万kmで進む光が、その光速を以って陽子の直径の1兆分の1の距離を横切るのに要する時間である。
このようにして生じた我々の住む宇宙には、ビッグバン以前の“先史時代”を支配していた物理法則の痕跡が読み取れる筈なのだが、ビッグバンを発生させた“量子揺らぎ”現象が、この痕跡の読み取りを困難にしている。極めて荒っぽく言えば、これが“宇宙の忘却”という現象である。ビッグバンへと到る収縮を経験しない宇宙の選択肢は他に2通りあり、この2通りから更にそれぞれ3通りの選択肢が出現し、うち1つがビッグバンを経験して“先史時代”を脱した宇宙へと変化する。この鼠算式の分裂-拡大のプロセス、すなわち「永久インフレーション」は、無限の過去から“始まり”、無限の未来へと続く永劫のプロセスとして“存在”する。つまり、我々の住むビッグバンを経験したこの宇宙も、この膨大な枝葉の分裂の中のありふれた1単位にしか過ぎなかったのであり、私が観想し、謎を抱く“存在”とは、この「永久インフレーション」の全体そのものなのだ。
何故、「永久インフレーション」が“存在”するのか?ループ量子重力理論は建設途上の物理学ではあるが、恐るべきことに、この「永久インフレーション」全体も、少なくとも4階層を成す“宇宙全存在”の最下層にしか過ぎないのではないかと予言する。おそらく存在の究極のありようは、無限大と無限小の両極では超越的な数学的実在の領域に連続的に接しており、この両極領域では、抽象的性質以外の一切を持たない。ところが、その中間領域にあっては、可愛いモフモフの猫や、美味しいステーキや、愛しい家族や冷たい水の流れが“確固たる”実在物としての感覚可能存在=物質として存在する。全ての物質存在は、数学的性質以外何も持たない抽象的な存在から構成されている。ここに到って我々は、パスカルの実在論とピタゴラス教団の世界観が結合し、新たな復活を遂げたことを知るだろう。
「永久インフレーション」全体の中のちっぽけな一部として存在し得た我々の宇宙、その宇宙の中に銀河系が存在し、その中に太陽系が、その太陽系に地球が存在するが、その表面で奇跡的な進化を遂げた我々人間は、10億年後、膨張する太陽に飲み込まれ、地球諸共消滅することを知っている。こうした事態以上の無常が、人間的スケールの範疇内で他にあるだろうか?
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私の父は、不慮の事故で世を去った。結婚記念日に突然夫を奪われた妻、すなわち私の母は、その日から如何なる神仏にも頼らぬ人となった。遺骨を墓に納めるとき、土に還ることができるようにと骨壷から遺骨を出し、墓内の土の上に置くことにした。その直前、“もう一度だけ、抱きしめさせて。”と言いながら、風呂敷に移した遺骨の包みを胸元に引き寄せ、俯くように背を丸め、頬を摺り寄せた母の小さな姿を私は忘れることができない。天体的に透明な黄色い連翹の花と二重写しとなった、このささやかで哀しい眺めの記憶も、いずれ訪れる地球と人類と一切の生命の消滅とともに、永劫の宇宙の闇の中へと消えてゆく。
あなたと偶然にこの世で出遭えたという奇跡。それがおそらく二度と在り得ないであろうという更なる奇跡。その凄味と哀切と尊厳とを、私は今一度、噛み締めておきたいのだ。
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「永久インフレーション」の全体がそもそも“存在し得た”という極限の謎を自問自答すると、気が狂いそうになる。「永久インフレーション」の一枝葉の中で物理の偶然の賜物によって存在し得た我々人間や他の生物が、私の母や大切な数々の人々をも含め、今こうして喜怒哀楽の感情を持ち、そこそこ80年になるかならないかの生を生き抜き、死んでいくという事実、物質の循環の中に還っていくという一瞬の光芒のような有限存在の哀切さは、既存のあらゆる宗教や神学を総動員しても癒されることのない生命の宿命である。
ループ量子重力理論の登場により、我々は、これまで神の領域とされてきた不可知論的領域にまで遡り、踏破することが可能な武器を手に入れつつあるが、同時に“宇宙の忘却”によって、我々はこの領域を支配していた筈の物理法則を、ビックバンという特異点から“こちら側”にあって知ることはできないという二重の桎梏を科せられた。その意味で、回避される筈の特異点は、依然、特異点であり続けている。
存在の永遠の謎、「永久インフレーション」の全体がそもそも“存在し得た”という極限の謎への全的到達のためには物理学と数学だけではもはや足らず、“神を必要としない宇宙”という最大の神秘に対する超越的観想に基づいた直覚的悟達こそを要する。これはニサーミーヤ学院のガザーリー教授が砂漠へと出奔する前、己に問うた質問だった筈だ。この場合、物理学と数学は哲学に、超越的な観想は神秘主義とそれぞれパラレル且つアナロジカルに対応し、我々は人間の生の寄る辺無き無常の不安定さの中から超脱しようともがく。ガザーリーほどの大思想家ですら、浅ましいほどにもがいたのだ。私如き江海の微賎が如何にして安住を得ようや。
五十代半ばに達した私の肉体は、既に其処彼処が痛み始め、老化と劣化を感じるようになった。肉体は確実に滅びへと向かっている。諸縁を放下すべき時が近付いている。
私は近いうちに天涯孤独となる。その時、絵画が己を支え得るに足るものか否かが突き付けられる。これは恐ろしい試練だ。
存在の無常に抗し、痛切な悲しみに耐えさせるに足るもの、「永久インフレーション」の全体を観想させ、超越的直覚という安心立命の境地へと導くに足る足掛かりとしてのもの、それが今、私の描き、難破船の漂う板のように頼ろうとしている絵画である。
平成29年3月7日
橋本 倫 記
橋本倫 Hashimoto Osamu
1963年神奈川県横浜市生まれ.多摩美術大学美術大学院美術研究科修了。
【主な個展】村松画廊(東京・銀座)、1996〜13回なびす画廊(東京・銀座)、 2005(財)川崎市文化財団主催「第147回 さまざまな眼・橋本倫展」(かわさきIBM市民文化ギャラリー)、2010 画廊企画個展「北冥」PORARIS ART & STAGE(神奈川・鎌倉) 、2013美術館企画個展「初國−未生以前−」カスヤの森現代美術館(神奈川・横須賀)
【主なグループ展】2003「第18回平行芸術展〜〈あざやか〉の構造」小原流会館エスパスOHARA(東京・青山)、2007「天体と宇宙の美学〜Beauty of Heavenly Bodies and the Universe」(滋賀県立近代美術館)、2008「絵画のコスモロジー〜橋本倫・黒須信雄・小山利枝子展」多摩美術大学美術館、2009「DE MISTYCAⅡ〜“アート”全盛期における“美術”」なびす画廊(東京・銀座)、2014「スサノヲの到来−いのち、いかり、いのり」足利市立美術館、DIC川村記念美術館、北海道立函館美術館、山寺芭蕉記念館、渋谷区立松濤美術館を巡回。「橋本倫×上田葉介二人展」カスヤの森現代美術館(神奈川・横須賀)
画廊から
このたび、+Y Galleryでは横浜在住の橋本倫の個展を開催いたします。橋本は1963年横浜市生まれ。十代思春期に入る前の3年間を大阪、北摂で過ごします。1982年多摩美術大学に入学、同大学院美術研究科を修了し、美術家として主に関東を中心に発表をしてまいりました。橋本は一貫して形而上のイデアを絵画制作の核としています。山水の岩を空に浮かせたような不思議な画面、中東の文字や見慣れぬ漢字が描かれていたと思えば記号のような形が見えたり、アジア、東洋的な有機的形状で満たされていたり、見るものを幻惑するような様々な形態が現れます。それらは作者というフィルターを通して必然的に結びつき生み出される形態です。その多様なイメージを前に、見るものは時として意図せぬファクターの出会いによる閃光のような煌めき、あるいは亀裂を見いだすことでしょう。それこそ橋本作品の奥にある深淵や根源を垣間見ることのできる、神聖な稲妻のような役割を果たしているように思えます。その絵画は覚醒した光景においても白昼夢のように私たちを誘い出す強固なイメージを潜めています。生くる私たちを美へと希求させる原動力とは何であるか、そして絵画でしか獲得し得ない空間とは…そのような問いに立ち返り本展をご覧いただきたいと考えています。今回の関西初個展では新作を中心に計6点を展示いたします。ぜひご高覧くださいませ。
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